『閉鎖のシステム』を語る

タカアキラさんの一言に反応して書いてしまいました。
sto-zweiさん、ごめんなさい。一言で書いたつもりなんです。
以下、『閉鎖のシステム』について思うところです。


あれは、妄想で鳩時計と闘う冴えないオッサンがサスペンス・ホラーやミステリの〝お約束〟に対してひたすらツッコミを入れていくという異色な話で、ジャンルに捕らわれないというライトノベルの利点をとても活かした作品だと思います。(うーん、何か形式ばってるなぁ)
えらい笑ったんですよ。ラノベだと路線は違うけど『大久保町の決闘』以来かなぁあんなに笑ったのは。『閉鎖〜』はブラックな笑いの微妙な気持ち悪さが好きなんです。ショッピングモールの「プラーザ」っていう安直な名前とか人類の敵の鳩時計などを含めて事件全体を諧謔にしてしまうやり方、筒井康隆スラプスティックに近いと思います。

正直に言うと、ライトノベルを月20冊以上読んでいて少年少女の闘いの物語を喰い飽きていた時期に読んだという事も、fuchi-komanをして『閉鎖のシステム』を特別なものに思わせる一因になった可能性は否めません。というか、さもありましょう。でもそれだけかというと、それだけで済ませるべきものでは無いと思うのです。
富士見ミステリ文庫というレーベルにおいて「ミステリ」とは何か。さっぱり判らないモノです。「レーベル自体がミステリ(謎)だ」という声も聞かれます。多いのは矢張り探偵推理小説の類ですが、その類はあまり面白く読めません。トリック・ミステリを楽しみたいなら講談社ノベルス/文庫の棚に行けば良いのです。富士見や角川スニーカーのミステリ文庫では推理小説ではないものの方が尖った作品が多く面白く読める、とfuchi-komaは感じています。『アクアリウムの夜』然り、『真・女神転生』ノベライズ然り、『閉鎖のシステム』然り。『匣庭の偶殺魔』は一応推理小説ですが、本格ミステリに挑戦的で異常な尖り具合はメフィスト賞出身かと見紛うばかりで(挑戦的な姿勢自体は)面白く読めました。
そう、思うに『閉鎖のシステム』が見せてくれた地平は、メフィスト賞のラインに近い気がします。本格ミステリ新本格の何を見据えていたと断言はできませんが、既存の手法から脱する事、それを排除していく中で新たな時代の楽しみ方を見出していたように思います。殺人鬼が居る(かも知れない)という状況で「理由なんて何でもいいんだ。誰でも殺人気になる可能性はある」と撞屋市論悟は言います。あまりに滑稽な事件のあまりに滑稽な結末。その事件の滑稽さを、登場人物が絶えず指摘し続けるという点で、本作は特異たり得ています、少なくともライトノベルでは。これは他のどのライトノベルよりも清涼院流水乾くるみ西尾維新のやっている事に近いように思われます。最近はどうやら「大きな物語」復活の兆しが見られますが、ライトノベルの主流は依然として「敢えて楽しむ」の領域であるということは『撲殺天使ドクロちゃん』を読めば直ぐに判ります。新木伸『あるある!夢境学園』シリーズはその点(お約束を「敢えて楽しむ」こと)に最大限まで自覚的であった例ですが、ここには滑稽という内部視点を持ち出さず「ありえねー、というようなお約束でも、その中に浸って敢えて楽しもう」という現在のライトノベルを成り立たしめる重要な要素がくっきりと浮かび上がっています。
他のメディアでは、『閉鎖のシステム』はハリウッド・ムービーの『スクリーム』シリーズに重ねる事が出来ます。『スクリーム』も登場人物が滑稽な殺人事件を滑稽だと叫び続ける滑稽な映画です。ここではお約束の中に浸るのではなく、お約束そのものを滑稽であると問題意識化して楽しむというプロセスがあり、それが『閉鎖のシステム』と共通します。
読書会では「この本の楽しみ方がさっぱり判らない」という声が多かったのですが、fuchi-komaは以上のように楽しんでいました。楽しかったですよホント。



うう…無駄に時間を費やしてしまいました。
ちょっと更新控えますねホント。