ライトノベルの憂鬱/東京大学新月お茶の会

「SFファン交流の会」でお近づきになった「東京大学新月お茶の会」(以下“お茶の会”)さんの新刊。ウチの新刊と交換という形で頂きました。
お茶の会さんは『このミステリがすごい!』でベストに挙げるラインナップが毎回面白くて*1以前からチェックしてましたが、コアなSFファンがいてSFファン交流に来たり、文学フリマにいたり、『このライトノベルがすごい!』へ参加したり*2と、活動の幅が広くて驚かされます。


で。
ライトノベルの憂鬱」ですが…うわ、ひどい表紙w 集客力はありそうだw
でも中身は大変興味深いです。
基本軸は例の『ライトノベル完全読本』と『このライトノベルがすごい!』2冊を徹底検証する企画で、加えてライトノベル関連のコラムが少々、といった趣。
総じて前者をめった切りして後者を持ち上げる姿勢がみられ、なかなか辛辣な意見も多いです。私的には益体も無い企画*3が多い『このラノ〜』よりは貴重なインタビューを掲載する『完全読本』の方に好感を抱いているのですが、現役ライトノベル読みの視点からの意見もこれはこれで面白いです。
特に開眼せられたのは「黒猫」氏のコラム。一部引用させて頂きますと、

(前略)ライトノベルには常に新しいものを生み出そうとする傾向があり、それを追いかけていくには、「今」出ている作品を追いかけ続ける必要がある、ということが言える。そこに、過去の作品を読み、語るだけの余地はない。少なくとも「今」話題になっている作品と同列に語るだけの余地は。(後略)

といった意見を述べています。
はー、なるほど。そういう視点もあるんですなぁ。fuchi-komaなんぞはどうしても「ジャンル作品」として捉えてしまうので、ライトノベルであろうとSFならSFの、ミステリならミステリの背景(過去作品群)を持ち出して語ろうと考えてしまいますが、今時の“ライトノベル”にはそれは適用すべきでない、適当ではない、というわけですね。うーん、考えてもみなかったなぁ。
黒猫さんは次のコラムで『ライトノベル☆めった斬り!』を否定的に捉えています*4が、これは先の引用と、先日fuchi-komaが書いた、「『☆めった斬り!』は歴史書だ」問題に絡んで来ます。fuchi-komaの意見は「ライトノベルにも歴史は必要であり、それは絶えず意識されるべきだ」というもので、黒猫さんの意見「歴史を語る事自体は悪いことでもなんでもない。しかし…(中略)…10年前、どの本が面白かったかを語るより、今月の新刊でどれが面白そうかを考えるほうが、ライトノベルの現状に即しているように思える」に対立するものとなってしまいました。
面白いなぁ。実を言うとfuchi-komaは今ライトノベルを月2,3冊程度しか読んでいない「ライトノベル読者」としては引退したも同然*5なので、既に「現代のライトノベルの勢いについていけなくなった年配の読者」にカテゴライズされるワケで、お陰で読んでいてもちっとも腹は立ちません。しかしだからこそfuchi-komaは「新刊だけ追っかけていてホントに楽しい? それでいいとホントに思ってる?」と逆に問いかけていきたいと思います。あれ、何か吉岡平氏のあとがきみたいですな。

この本で最も残念なのは、やはり時期の問題で『ライトノベル☆めった斬り!』に言及しているのが黒猫さんの一箇所だけになっている事。上記の話に絡めて、一番意見を言って欲しかったんだけどなぁ。残念。

とまれ、一ヶ月に10冊以上の新刊をチェックしている黒猫氏、ライトノベル動向の総括「本当はすごくないライトノベル」で鋭いメスを入れている編集長・宇佐見氏など、お茶の会さんのライトノベルに注ぐ情熱は大したものです。でも、こういう「物申す!」タイプの言説こそ本当はネット上で発表して然るべきなんじゃないですかね。と思うのですが、どんなものでしょう。
取り敢えずfuchi-komaも、こういう流行に敏感な姿勢は見習わなきゃなぁと思っています。

*1:2003年度版では『マリみて』をランクインさせた

*2:東洋大学SF研究会も数名参加しました

*3:「勝手にキャラクター属性分類」の様な企画

*4:「本文1行目から殺意の沸いた本はほんと、久しぶりだわ」とまでのたまわっています

*5:かつては一月に20冊は読んでました^^;